「お地蔵さんはいつでもどこでも」
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午前中は、京都鉄道博物館の見学をして鉄道の仕組みや蒸気機関車から新幹線等様々の車両を見学して
日曜日で子供たちで混雑する中、童心に返えり、また鉄道の認識を新たにしました。(参加者12名)
午後は、壬生寺へ移動して、「お地蔵さまは、いつでもどこでも」と題しての対談と壬生寺の重要、
文化財の特別拝観をしました。(参加者16名※参加希望者は19名でしたが、風邪等で3名欠席)
京都文化遺産の中の都人たちは、全国的に好評で、毎回参加者が多く今回も会場は満員で盛況
でした、京都仏教会には改めてお礼申し上げます。
◇ 特筆事項:壬生寺の対談には、「燃えよ剣」(新撰組・土方歳三役)や幕末の京都。元江戸講武所
頭取・牟礼重蔵役で活躍した、俳優:栗塚旭氏も拝聴していた。
なが ら常に革新を続けるこことを目的に京都の地に開業した。同館は、地域と歩む鉄道文化拠点」で学校教育、周辺
施設など、地域との連携を図り、地域の活性化に寄与し、広く皆さんに受け入れられる「憩いの場」となるとともに、
「見る、さわる、体験する」ことで誰もが楽しむことができる「学びの場」となることを目指している。
SLや動く豪華ホテルといわれたトワイライトエクスプレスなど鉄道マニアに親しまれた車両が展示されていて、
中でも鉄道ジオラマは、同館のオペレーターのスタッフが運転・解説を行い、在来線と新幹線の速度を変えるなど、
それぞれの列車の特徴に合わせて列車順序を変えながら走行させていて、映像や照明などを操作しながら進める、ライ
ブ感溢れるおよそ15分のショーは見どころでした。子どもだけでなく参加者の皆さんも、十分楽しんだのではないで
しょうか。
壬生寺といえば、幕末新撰組の兵法調練場として、武芸や大砲の訓練が行われ新撰組隊士にまつわるお寺として思い
浮かべる人が多いのではないでしょうか。同寺は、新撰組にまつわる逸話も数多く残っていて、境内東方にある池の中
の島は、壬生塚と呼ばれ、新撰組関連の遺跡がある。新撰組局長・近藤勇の胸像と遺髪塔、新撰組屯所で暗殺された
新撰組局長・芹沢鴨と隊士・平山五郎の墓、勘定方・河合耆三郎の墓、池田屋騒動で亡くなった隊士3名を含む7名
の合祀墓がある。毎年7月16日の池田屋騒動の日に、新撰組隊士等の慰霊供養祭を行っている。
律宗・壬生寺は、正暦2年(991年)、快賢(かいけん)僧都によって創建された。本尊は、延命地蔵菩薩
(平安時代作・重要文化財)であり、水かけ地蔵、夜啼き地蔵をはじめとする多数の地蔵菩薩を祀っている。
古代よりの地蔵信仰とともに、京都の裏鬼門に位置することから、厄除け・開運の寺として庶民の信仰を集めており、
2月の厄除け節分会は、約900年もの歴史をもつ年間最大の行事である。
【対談】午後2時30分〜壬生寺会館ホール
〜「お地蔵さんはいつでもどこでも」〜(要旨)
○ 松浦 俊海:壬生寺貫主
○ 山本 壯太:古典の日推進委員会ゼネラルプロヂューサー
仏教のえがきだす深淵で広大な世界には、様々な立場と役割を担った無数の仏たちが存在します。そんな中で子供から
大人まで日本人の誰でもが身近で知っている地蔵菩薩であろう。壬生寺のご本尊は地蔵菩薩で本山である奈良唐招提寺から
移された延命地蔵菩薩十三であります。
境内には、水かけ地蔵を始め石仏3,000体が祀られ、まさにお地蔵さまが集う庭であります。自然豊かな日本は、
過酷な自然災害の国でもある。地震で台風で多くの老若男女の命が失われている。六道をめぐって人々を救うという
お地蔵さんの出番はたえることはことはありません。いつでもどこでもか弱い子供たちを助けるために、お坊さんの旅姿で
街角に立つた鑑真和上の奈良仏教の壬生寺 地蔵信仰という庶民の壬生寺幕末維新新撰組が駆け抜けた歴史の壬生寺、
そして現在は保育園や老人ホームなど社会福祉事業も進める壬生寺とさまざまなそくめんを持つ壬生寺の魅力をお伝えします。
※律宗総本山 唐招提寺:南都六宗の一つである律宗の総本山。
南都六宗(なんとろくしゅう、なんとりくしゅう)とは、奈良時代、平城京を中心に栄えた日本仏教の6つの宗派の総称。
奈良仏教(ならぶっきょう)とも言う。
〇三論宗 - 開祖:恵灌、元興寺・大安寺
〇成実宗 - 開祖:道蔵、元興寺・大安寺
〇法相宗 - 開祖:道昭:法隆寺・薬師寺
〇倶舎宗 - 開祖:道昭:東大寺
〇華厳宗 - 開祖:良弁・審祥:東大寺
〇律 宗 - 開祖:鑑真・唐招提寺
☆南都に対して、京都は北京といわれている。
鑑真和上・唐の揚州に生まれ、14歳で出家し、洛陽・長安で修行を積み、713年に故郷の大雲寺に 戻り、江南第一の
大師と称され。天宝元年(742)第9次遣唐使船で唐を訪れていた留学僧・栄叡(ようえい)普照(ふしょう) から、
朝廷の「伝戒の師」としての招請を受け、渡日を決意、12年間に5回の渡航を試みて挫折、失敗を繰り返し視力を失うこと
となったが、天平勝宝5年(753)6回目にして遂に日本の地を踏まれ以後、76歳までの10年間のうち5年を東大寺で
残りの5年を唐招提寺で過ごされ、天皇を始めとする多くの人々に授戒をされた。
【お地蔵さんはいつでもどこでも】
今日の会場であるこの会館は、保育園の講堂であり体育館でありますが、6歳から15歳まで30人の子供と老人ホーム
で生活している人達が、地蔵さんに守られながら生活している。
お地蔵さんは、いろんな所へ行って、一番弱いところに手を差し伸べてお助けする。「お地蔵さんは、いつでもどこで
も」ということですが世界中どこでも信仰されることがあれば、外国人でもウェルカムである。
◆壬生寺は、昭和37年に火災に遭い、重要文化財のお地蔵さまはしょうしつしてしまった。お地蔵様の命日は、8月24
日であるので、4月24日に復元したお地蔵さんを納めることになっている。また、本堂は4回の火災で焼失し、残ったの
は境内の灯籠だけで現在は5代目の本堂である。
壬生寺のお地蔵さんは、いつでもどこへでもということで世界中どこへでも出張する。お地蔵さんは信仰する人であれ
ば、外国人のみなさんでもウェルカムです。
○壬生寺も外国人のお参りがあるがその中には、遠くイタリアの尼僧で金沢で修行された方が、鑑真和上の承継者でもあ
り、お地蔵さんを昔から信仰されている方だったので、お地蔵様を送ったところカトリック教会の裏庭に地蔵堂を作っ
て礼拝している。
私も2015年3月28日に行って、一緒に般若心境をあげ数珠回しを一緒にした。他にも髪は長いがお坊さんがいて
お地蔵さんを信仰している。
○スリランカで六地蔵を祀りたいという希望があり、1年に1回計2年間、地蔵さんを飛行機で送った。私もスリランカに
滞在していたことがあり、今年も行く予定です。スリランカは仏教王国です。
○アメリカのオレゴン州にお寺があり、妙心寺で修行された方ですが、この方は地蔵菩薩という英文で本を書いた人です、
この方もお地蔵さんの信者で自分でも陶器でお地蔵さんを作っていて、壬生寺のお地蔵さんをお祀りしたいという要望が
あり、地蔵108体を平和の地蔵ということで壬生寺の地蔵の中から約2トンの地蔵を選び船便で送って、それをお祀り
している。
この僧は、小さい時から長崎にいてアメリカの原爆で罪のない多くの子ども達が亡くなったことを母親から教えられて
いたので、平和運動をしているとのことです。(旗に子供たちが、お地蔵さんとピース ピースと書いた寄せ書きを皆さん
に見せながら)この僧は平和を願ってお参りしている。
このように、日本が夜で皆さんが眠っているときでも、アメリカは朝、ヨーロッパは夕方で壬生寺のお地蔵さんに礼拝
して皆さんの幸せをお祈りしていることだろうと思っています。
◆【壬生狂言】
壬生狂言は、鎌倉時代に「円覚上人(えんがくしょうにん)」(1223年〜1311年)が、仏教を民衆に分かりやすく
教えようと、身振り手振りで表現したことに始まると言われています。
当時、上人の教えを聴きにくる人が10万人にも及んだので、円覚上人は「十万上人」とも呼ばれました。このような
群衆の中で教えを分かりやすく伝えるのは難しい・・・、そう考えた上人は現在のいわゆる「パントマイム」
(無言劇)に教えを仕立てて布教に努めたと言われています。
この壬生寺では2月2日〜4日にかけて、冬の京都観光行事として有名な「厄除節分会」が行われます。これは白河
天皇の発願によって始められたと伝えられ、900年者伝統をもつと言われています。(詳細は省略)
◆【地蔵菩薩】
地蔵菩薩は、お釈迦さまが亡くなってその生まれ変わりとして弥勒菩薩がこの世に現れるまでの間(56億7000万
年間)、人々を救うのが役割です。お坊さんと同じく頭には宝冠も髪もありません。お寺などに安置される仏像として
の地蔵菩薩は、瓔珞(ようらく)を付け、左手には宝寿を持ち、右手には掌を見せて前に下げるか、錫杖を持っている。
しかし、道端で見る「お地蔵さん」は、頭が円いだけで、まるで丸坊主の子供のようです。なかには宝冠を付けたも
のも混じっていて、本当は大日如来なのですが、それも「お地蔵さん」と呼ばれています。つまり「お地蔵さん」は、
地蔵菩薩であることを超え、広く民族信仰の対象となっているのです。