令和元年11月23日(土・祝) この日雲一つない最高の好天気に恵まれ、金閣寺境内の紅葉も一番の見ごろ、紅葉の木漏れ日が降り注ぎ、我々を大歓迎してくれているような至福感に包まれました。タクシーで参加した人の話では、運転手から、「金閣寺、いいねぇ!俺も行きてぇ」と 言われたとか。運転手さんひょっとして「九州の人」では? 本行事は、関西日田会創立20周年記念行事として、渡辺会長・今村相談役が事前に顧問の有馬頼底猊下(臨済宗派相国寺管長・金閣・銀閣寺の ご住職)に行事の趣旨をお願いして、有馬猊下から快諾をいただき実現したものです。 渡辺会長以下40名(男20.女20)は、まず記念写真の後、非公開の「方丈」(客殿)を見学。特別名勝・史跡の枯山水の庭園と客殿の襖絵 (狩野派である狩野寿石(かのうじゅせき)の水墨画)、森田りえ子画伯の「杉戸絵」を鑑賞。さらに船の形をした陸舟(りくしゅう)の松を見学。 樹齢は約600年とのことで、京都三松の一つに数えられている名木。五葉松で足利義満が盆栽から移植されたと言われ、その大木は常緑の姿で歴史 を語っています。 ※ただ、事前に予定していた、岩澤重夫画伯の襖絵の鑑賞は、前日に会議があり、入れ替えがされていなくて鑑賞できませんでした、残念。 方丈見学の後は、一般観光客とは別ルートで金閣寺(舎利殿)の特別拝観をしました。 一般観光客が入れない特別見学ルートの真正面から見る金閣寺は、雲一つない青空の下で眩く輝き、一同感激、心を洗われました。ある人いわく、 観光客でごった返している一般見学ルートの混雑を見て、「何か優越感を感じるね」と、観光客からは見ることのできない、金閣寺正面からの 優雅な舎利殿を拝観することが出来きて満足した、参加者の皆さんも本当に充実した特別拝観ではなかったでしょうか。 拝観後は、現地解散組と昼食会参加者組と別れて、それぞれの目的地へ向かいました。一部の人は、嵐山まで足を延ばした人もいたようです。 参加者の皆さん、楽しい1日をお疲れ様でした。 ※有馬頼底猊下には、改めて感謝申し上げます。ありがとうございました。
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