〜京都歴史遺産の中の都人たち〜

”大徳寺に想いを寄せて”(対談と特別拝観)

〜「相国寺承天閣美術館「花鳥画展」の鑑賞〜

平成27年2月23日(月)


(対談:午後2時30分から)

 

 2月23日、厳しい寒さが続く中、この日は久しぶりに京都市内も暖かい天気に恵まれ、午前は渡辺会長以下8名が

相国寺承天閣美術館で「花鳥画展」を1時間にわたり観賞。展示品は円山応挙筆国宝「牡丹孔雀図」、長谷川等伯筆国宝

「竹林猿猴図」はじめ室町時代、桃山、江戸時代、中国の南宋、元、明、清代の絵画、工芸品が展示され、さすがと思わ

れる絵画もあり当時の画家の勢いを感じ取ることが出来ました。昼食後は、9名が大徳寺へ移動して、大徳寺の塔頭を見

学した方もありました。

《対談》〜「大徳寺に想いを寄せて」〜

※臨済宗大徳寺派宗務総長 戸田実山師と杉本家九代目杉本歌子氏(京商家奈良屋保存会学芸部長)が国宝大徳寺(方丈)

  で「禅茶の源流を訪ねて」について対談。

※大徳寺開創の大塔国師禅師からは、一時応仁の乱で荒廃した寺を再興した一休和尚、豊臣秀吉による織田信長葬儀

  千利休に纏わる茶の話、また戦国大名による塔頭建立に関連して禅茶の話がありました。

   《対談・特別拝観》

源流の話よりも大徳寺に纏わる話が多く、なるほどと感じる面が多くあり、杉本女史からは、今日商家を次の世代にいか

にして渡していくか等のお話がありました。

 対談終了後の特別拝観では、国宝「方丈」襖絵八四面は狩野探幽斎筆による重要文化財を30センチの近くでゆっくり

と鑑賞でき、また国宝「唐門」には塀囲いの中に入り、間近に見ることが出来ました。

 要文化財「法堂と天井龍」(天井龍は30代狩野探幽斎筆)では、法堂の特徴を聴き、重要文化財三門(山門)では

利休が秀吉により切腹させられた原因の説明が有りました。

 今回の大徳寺は通常、見ることの出来ない建物、聞くことの出来ない談話があり有意義なものでした。金毛閣の竹囲い

の前で記念撮影して解散。皆さんお疲れ様でした。

 この催し「京都歴史遺産の中の都人たち」は、人気が高く全国から、300余名の申込みがあり、抽選で120名の方

に招待状を送付したとの事でした。

 関西日田会は京都仏教会のご好意により、毎回無抽選で参加できて有り難く感謝しています。次回には多くの会員の方

に参加して頂きたいと思います。

※ 解散後京都西大路五条「イオンモール」で開催中の大分県物産展へ会長、伊藤顧問と弊員の3名で訪れ、小関大分県

大阪事務所次長に挨拶してきました。(稲尾和彦)


【大徳寺】

 臨済宗大徳寺派の大本山で龍寶山と号する。

鎌倉時代末期の正和4年(1315)に大燈国師宗峰妙超禅師が開創。室町時代には応仁の乱で荒廃したが、一休和尚が復

興。桃山時代には豊臣秀吉が織田信長の葬儀を営み、信長の菩提を弔うために総見院を建立、併せて寺領を寄進、それを

契機に戦国武将の塔頭建立が相次ぎ隆盛を極めた。

勅使門から山門、仏殿、法堂(いずれも重文)、方丈(国宝)と南北に並び、その他いわゆる七堂伽藍が完備する。

山門は、二階部分が、千利休居士によって増築され、金毛閣と称し、利休居士の像を安置したことから秀吉の怒りをかい

利休居士自決の原因となった話は有名。

 本坊の方丈庭園(特別名勝・史跡)は江戸時代初期を代表する枯山水。方丈の正面に聚楽第から移築した唐門(国宝)

がある。方丈内の襖絵八十余面(重文)はすべて狩野探幽筆である。什宝には牧谿筆観音猿鶴図(国宝)、絹本着色大

燈国師頂相(国宝)他墨跡多数が残されている。

(10月第二日曜日公開)現在境内には、別院2ヶ寺、塔頭22ヶ寺が甍を連ね、それぞれに貴重な、建築、庭園、美術

工芸品が多数残されている。