岩清水八幡宮への参拝と男山の紅葉狩りを楽しみました!


   11月23日(月・祝)関西日田会恒例の紅葉狩りを実施しました。今年は、岩清水八幡にお参りして男山の見事な紅葉を楽しむことに

しましたが、時期的に紅葉には早すぎたようでした。岩清水八幡は、京都府歴史的自然環境保全地域第1号に指定されている男山の紅葉と

常緑樹が織り成すコントラストの美しさで紅葉の名所とされています。

この日は、新嘗祭の行事が行われ、また七五三の参拝者が多く賑わっていました。本日の参加者は、渡辺会長以下17名の皆さんで、本殿

にお参り後、清峰殿本館において昼食・懇談を行い現地解散しました

 ※今回は、関西大分県人会秋季総会で知り合いになった中津市出身の清末剛さんが初参加してくれました。

[石清水八幡宮]

 貞観元年(859年)、大分県の宇佐八幡宮に籠もり修行をしていた大和大安寺の僧行教は八幡大神から『吾、都の近くにある石清水男山の

峯に移座して国家を鎮護せん』との御託宣を受け、このことを朝廷に奏上したのが「石清水八幡宮」の起源と伝えられている。

 清和天皇の命を受け木工、権允橘良基(ごんのじょうたちばなよしもと)は男山に六宇の宝殿を建立し、貞観2年(860年)に遷座が行われた

とされている。しかしながら、これには宇佐八幡宮の神官大神氏が和気清麻呂一派や行教と組んで都への進出を図ったものという説もある

ようである。

 天慶2年(939年)の平将門、藤原純友の乱では、朝廷の請願があり八幡大神の神威により速やかに平定されたという。それ以来、国家安

泰、都の守護の神社として朝廷の崇敬は益々篤いものになったようで、天皇、上皇の行幸は数多くとり行われたといわれている。また、源氏

一門は八幡大神を氏神とし、格別の信奉をはらってきたようである。

 以来、国民にも勝ち運の神、厄除け開運の神として崇敬され、現在でも全国屈指の厄除けの神社として有名である。