會津八一展および京都御所一般公開見学会

 
最後の文人・會津八一の世界(66年ぶりの回顧展)
京都御所一般公開(明治天皇生誕160年)

 

平成24年11月2日(金)、文化部の主催で相国寺承天閣美術館で開催中の會津八一展を鑑賞した後、皆さんで昼食
をご一緒して、午後京都御所の一般公開を見学しました。
午前中は曇りで、少し肌寒い感じでしたが、午後は晴天に恵まれ、日頃なじみのない、京都御所の一般公開を見学しました。御所の宜秋門前の手荷物検査場でチェックを受けた後、広大な御所の敷地を見学コースにしたがい、※「紫宸殿」をはじめ、素晴らしい建物や展示物を鑑賞し、秋の京都を満喫しました。
今回は、平日の企画で関西日田会の参加者が少なく、少し寂しい思いでしたが、それでも京都御所の一般公開は大勢の見学者でにぎわっていました。

※「紫宸殿」:即位の礼などの重要な儀式を執り行う、もっとも格式の高い正殿で、大正天皇、昭和天皇の即位の例もここで行われた。 向かって右側が「左近の桜」、左側に「右近の橘」がある。

≪會津八一展≫ 會津八一は、秋艸道人(しゅうそうどうじん)または渾斎(こんさい)と号し、すぐれた東洋美術史学者であり、たぐい類まれな歌人であり、※「獨往」の書家でもあった。八一は、新潟市に生まれ尋常小学校4年のころは、端艇部に所属していたが脚気にかかり、また端艇新造の負担ができず、脱会している。
中学校在学中に俳句をつくり地元新聞に俳論を連載、卒業の翌年には地元新聞の俳句選者となって、文芸活動のリーダーの一人となった。明治39年に早稲田大学を卒業すると、新潟県の有恒学舎(現・有恒高校)に英語教師として赴任。明治43年、恩師坪内逍遥に招かれて、早稲田中学校に転じ、教頭職も勤めた。当初は、俳句を文芸活動の主軸に俳論を発表し、一茶の研究で業績を残した。早稲田大学に勤めるかたわら早稲田大学文学部の講師を兼任し、昭和6年には、文学部教授になって東洋美術史を講じた。当時学校には資料というものはほと
んどなく、現在残っている貴重な資料は、自らの負担で収集した資料で、そのことを日記に記している。

※獨往(どくおう)「自分の信じる道をひとすじに進むこと」


≪京都御所一般公開≫
今年は、明治天皇崩御100年、そして御生誕160年の年にあたり、今回の秋季一般公開はこれらに因み、明治天皇がご幼少の時から明治初年まで京都御所でお過ごしになられたご様子に関連したものが、展示をされていました。


相国寺法堂 承天閣美術館前
京都御所見学者ルート 御車寄前
皇宮警察犬 生け花(月輪未生流)
生け花(御室流) 生け花(嵯峨御流)
紫宸殿「右近の桜」 紫宸殿「左近の橘」
「清涼殿」 「御池庭」